札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「義の奴隷」

更新日:2019.10.15

ローマの信徒への手紙6章15-23節 (新約281頁)

米倉 美佐男牧師

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(23節)

手紙の著者パウロは、今まで語ってきたことをさらに展開させる言い方で「ではどうなのか」と切り出します。律 法の下ではなく、恵みの下にいることを語り、救われている実感をどこで、どのように持つのかと問うのです。律法 の下ではなく恵みの下にいるのならば罪を犯してもかまわないという人たちもいたのです。そのような考え方に対し てパウロは明確に否と言います。断じてそうではないと。

ここでパウロは言葉を変えて別角度から話題を展開しています。ここでの鍵の言葉は「奴隷」(ドゥ―ロス僕)で す。奴隷とは主人に仕えるものです。自分の自由意思はありません。主人の命令に従い服従するのです。今は奴隷制 度はありません。何々の奴隷といった言い方はします。パウロの時代、聖書の時代は奴隷制度があったのです。戦争 に敗れたり、借金を返済できなくて、その他様々な事情で身分、国籍を剥奪された状況に置かれたのです。

奴隷のイメージを使ってここでパウロが言おうとしているのは罪の奴隷となるか、義の奴隷となるかということで す。あなたがたはどちらを選ぶかということです。二者択一です。キリストに贖われ洗礼を受けて救われた者として 罪の奴隷のままあるとしたらそれでいいのかと問うているのです。それはキリスト者として生きるとはどのような生 き方をすることなのかと言う問いです。信仰者として生かされるために義の奴隷として神に服従する生き方を選びな さいと。罪の奴隷として滅びに至るかそれとも義の奴隷として、救いの道に至るか。当然救いに至る道を選択しなさ いと言うのです。キリストに従い永遠の命を得て信仰生活を全うしようと。私たちは永遠に死んだり、永遠に眠るの でなく、永遠の命に与るのです。私たちは義の奴隷です。

(2019年10月6日礼拝説教より)

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