札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主の名によって集まるところ」

更新日:2017.10.2

マタイによる福音書18章15-20節(新約P35)

牧師 米倉 美佐男

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(20節)

「主の名によって集まるところ」それは教会です。今朝の聖書箇所から教会とは何かと言うことを聞きましょう。教会にもプロテスタント、カトリックがあり、今年は宗教改革500年の年です。本来教会は新約聖書のエクレシアの訳です。元々の意味は「呼び出された者の集まり」で、エクレシアも旧約聖書のカーハール(集会)の訳です。教会はつまりイエス・キリストの名のもとに、二人または三人が集まった者の群れなのです。

教会は教える会ですが聖書を知識として教えるだけでなく、聖書に証しされているイエスを唯一の救い主と信じる者たちの集まりです。極端なことを言えば聖書の知識はなくてもイエスを唯一の主と信じることができるなら信仰は成立します。ただキリスト教の信仰は教会なくしては成立しませんでした。キリスト教の歴史は教会の歴史と言っても過言ではないのです。

教会はキリストの体ですから教会そのものは聖なるものです。集まる者にどのような欠けがあろうとも神に召されたゆえに教会は聖なる神の民です。現実に人の集まりですから教会といえども仲間内で「だれがいちばん偉いか」などと言ったり、様々なトラブルが起こり得ます。ここで取り上げられているのは罪の問題です。兄弟に対する罪です。その解決方法は兄弟愛において解決せよと言われます。事が公になる前にまず個人的忠告をし、だめな時は次に二人だけで、それでもだめな場合は教会に相談しなさいと。それでだめなら異邦人または取税人同様にしなさい。交わりから断てと命じます。大事なのは命を取ってはならないのです。それはこの時代画期的なことでした。死に値する罪でも最終的には神に審判は委ねるのです。その代わり悔い改めたら復帰の道があるのがキリストの教会です。

(2017年9月24日主日礼拝説教より)

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