札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神が望んでおられること」

更新日:2012.11.26

テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節(新P379)

厚別教会 協力牧師:大坪 信章

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(16〜18節a)この3拍子揃った御言葉は、とても魅力的な言葉ですが、同時に、そうできない自分自身の不甲斐なさを感じます。「だから、今すぐにでもそうしよう」と思っても、そう出来ない何かが、自分を縛り付けています。悩みか、不満か、罪か、罪悪感か。こうして、私たちは御言葉によって、目を背けたくなる、自分自身の現実を暴かれます。

しかし聖書は、言っています。「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(18節b)と。神さまは「そうしなければならない」と言われるのではなく「そうなっていくことを、希望する」と言われます。私たちは、その希望のうちに、成長させられていくのです。神さまは、ただ、望んでおられるのではありません。キリスト・イエスにおいて、望んでおられます。要するに、このキリスト・イエスの事実が、一筋縄ではいかない、紆余曲折のある、私たちの成長の過程を、支え導いています。

キリスト・イエスの事実、それは、十字架による罪の赦しと、復活による新しい命です。この事実が、私たちの成長を、成長足らしめています。ですから、喜べない、祈れない、感謝できない自分を、全否定する必要はありません。過去も駄目、今も駄目。これは、ある意味、実績ですから。それで私たちは、これからも駄目だと考えます。しかし神さまは、過去も駄目、今も駄目な私たちが、これからを、どう生きるのか、その未だ見ぬ私たちの未来に、可能性の目を向けておられます。それが「キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられる」(18節)という御言葉の、意味するところです。

私たちの未来の可能性は、十字架と復活によって大きく開かれています。私たちが為すべきことは、ただキリストを信じることです。信仰は応答です。信仰は、神さまのアクションへのリアクションです。私たちは、私たちのアクションによって救われるのではなく、神さまのアクション、そのキリストの十字架と復活へのリアクションによって救われます。ここから、喜びと祈りと感謝の生活が始まります。今日も、これからも、神さまは、私たちを希望としてくださっています。このことを、私たちの生きる原動力と、させていただきたいと思います。

(2012年11月18日礼拝説教より)

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