札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「イエスの死」

更新日:2013.4.30

ヨハネによる福音書19章28-30節(新P208)

牧師:米倉 美佐男

「イエスはすべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われました。こうして聖書の言葉が実現した。」(28節)。主イエスは全てが完成したことを知られた後、「私は渇く」と言われました。ご自分に課せられた務めが終わったということが示されています。詩編の22編16節「口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中にうち捨てられる。」、詩編69編4節「叫び続けて疲れ、喉は涸れ」とあります。旧約聖書の御言葉が思い起こされます。

28節「渇く」、30節「成し遂げられた」はイエスが十字架の上で語られた「十字架上の七つの御言葉」と呼ばれるものです。他にヨハネの19・26、27「あなたの子です。」「あなたの母です。」・ルカ23・34「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」・ルカ23・43「はっきりいっておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」・マルコ(15・34)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)」・ルカ23・46「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」、主の慈しみ深い憐れみが満ち溢れています。

主は十字架の苦しみの極値に、高らかな救いの勝利宣言として、「成し遂げられた」と言って息を引き取られたのです。「成し遂げられた」とはすべてが終わった、完成したという意味です。主の十字架は救いの完成、聖書の約束の言葉の成就です。キリストの誕生は十字架で目的が達成され復活で完成したのです。主イエスは自発的に十字架で亡くなられました。生きているのは、もはやわたしではないのです。キリストがわたしの内に生きておられるのです。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1コリ1・18)。主の招きに応えて十字架を仰ぎ、自らを十字架に献げる歩みを求め続けましょう。

(2013年4月21日礼拝説教より)

前のページに戻る