札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「生きるとはキリスト」

更新日:2018.11.19

フィリピの信徒への手紙1章12-26節(新約P361)

牧師 米倉 美佐男

「わたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(21節)

生きるも主のため、死ぬるも主のため。私はキリストの内にあり、キリストは私の内にある。それがこの手紙の著者パウロの信条でありました。それほどパウロはイエス様と一体化していました。パウロは神秘家とも言われます。
けれども彼はなかなかの理論家です。パウロはここで挨拶と祈りに続いて福音の証を語ります。

パウロは捕らわれの身で牢屋の中でこの手紙を書きました。13節には監禁されていると書かれています。その状態をキリストのためだと彼は言います。イエスを救い主と信じ伝道していることが理由で捕らえられたのです。ですから間違いなくキリストのためでありました。福音の前進に役立ったというのは獄中生活を通してキリストを信じた人が与えられたからです。さらに主を信じた多くの人たちが勇敢にみ言葉を語り伝えるようになったのです。

パウロはキリストが自分にとって唯一の利益だと言います。そして「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが、わたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2章20節)と言うのです。キリストを信じるということはそういうことです。そしてそれは決して信仰深い人だけのものではありません。私たちみんなのものです。キリストに結ばれているあなたがたの誇り、それは教会の誇りです、主イエス・キリストの十字架です。神の恵み、救いがそこにあります。教会が教会であること、教会が教会となること、それが私たちに与えられた意味です。「生きるとはキリスト」、主イエスと共に生かされる生活が今ここにあるのです。求めるべきことはどんな時にもキリストが公然とあがめられることです。

(2018年11月11日礼拝説教より)

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