「神われらと共に(降誕節)」
更新日:2025.1.6
マタイによる福音書 第2章1-12節
小林克哉牧師
マタイによる福音書は、インマヌエル=「神は我々と共におられる」がイエス・キリストのご降誕、その到来によって実現したと語ります。その恵みに最初にあずかった人物は、東の方からやって来た占星術の学者たちでした。
「学者」の元の字「マゴス(マゴイ)」は東方の世界の精神的エリートを指します。占星術の「学者」とか、王の相談役の「祭司」とか、「錬金術師」とも訳せます。どちらにせよ異教の世界の人々であり、いかがわしさも感じられます。聖書が証しする唯一真の神を信じることからは遠く離れた人たちです。その人たちにインマヌエルが実現したと聖書は告げるのです。
学者たちは遠い東の国からはるばる旅をしてやって来ました。そこで出会ったのは、天から地へと危険な旅をして来てくださった方、マコトの人となれたマコトの神イエス・キリストでした。
先週、クリスマス礼拝と愛餐会を終えすぐ車で出かけました。愛する者を失い悲しみの中にある姉妹のもとにです。「先生、わざわざ来てくださるなんて。クリスマスの大変な時なのに。」どうして訪ねずにいられるでしょうか。どうして独りにしておけるでしょうか。聖書の御言葉に聞き、祈りを合わせ、葬りの務めをいたしました。悲しみの中にあっても主が姉妹と共におられる恵みを思いました。
神はわたしたちを独りにしておかれないのです。悲しみと嘆きの地を生きるわたしたちを、罪と死の力に打ちのめされようとしているわたしたちのところに来て、共にいてくださるのです。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(10-11節)
わたしたちを罪から救うため十字架で死んでくださるお方とお会いするなら、ただ悔い改めと信仰の告白、感謝と賛美をささげ、愛と畏れをもって礼拝する以外にないのです。今朝もこの礼拝において、神は共におられるのです。神は我々と共におられる=インマヌエルが実現しているのです。アーメン
(2024年12月29日礼拝説教より)