札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ3) 」

更新日:2021.10.29

聖書ヨハネによる福音書1章19-34節(新164頁)

小林克哉 牧師

「あなたはどなたですか?」そう問われるなら、皆さんはなんと答えるでしょうか。エルサレムから来た祭司たちがヨハネに尋ねました。ヨハネは答えました。「わたしではない。」このように答えることができるところに、マコトの救い、マコトの救い主を知る喜びがあるというのです。「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(29節)
牧師として、悩む人とできる限り寄り添って生きようとしてきました。力になりたいし助けたいと心から願います。そのような中で、はっきりと告げなければならないことがあります。「わたしはあなたを救うことはできない。」それが本当のことなのです。「わたしではない。」そう言えるところに牧師としての幸いと喜びがあります。「でも、あなたを救うことができる方がおられる。そのお方の名はイエス・キリストです。」
ヨハネのもとに救いを求め多くの人がやって来たと思います。しかしヨハネは知っていました。自分はその人を救うことはできない。メシアではない。わたしではない。わたしは〝声〟。その全存在をもって来たるべきお方を指し示し、証しする〝声〟。「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(29節)わたしは神に背いていることに気づかせ、罪を知らしめ、罪人であることを教えることしかできない。悔い改めて神に立ち帰るよう求めることしかできない。しかし、このお方は、罪を取り除くことができる。あなたが神に近づくことを可能にしてくださる。
わたしたちは何者でもありません。何者かである必要もないのです。この世で、対人の関係なら何者かでなければならないと、肩に力を入れなければならないかもしれません。しかし神の御前で「わたしではない」と言える幸いと喜びが与えられているのです。そして第三のヨハネとして、隣人に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と告げる〝声〟になることがゆるされているのです。

(2021年10月24日礼拝説教より)

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