札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主は備えてくださる」

更新日:2018.10.29

創世記 22章 1-19節(旧約P31)

牧師 米倉 美佐男

「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。」(14節)

今朝の礼拝は幼児祝福を覚えての統合礼拝です。信仰の継承と献げることの意味を深く味わいましょう。創世記22章はアブラハムのイサク奉献の記事が記されています。アブラハム、イサク、ヤコブと続く族長たちの話は神の民イスラエルの話へと繋がれて行きます。今朝は奉献記事を通して信仰生活の最も大事なこと、そして信仰の継承そのものなのだということを一緒に聞き取りたいと思います。

イサクの誕生は21章にあります。長い間妻サラとの間に子は与えられませんでした。エジプト人の女奴隷ハガルによってイシマエルが生まれますが、アブラハムの信仰はイサクに受け継がれます。90歳の時神さまのご命令でアブラハムと改名し、妻もサライからサラと名が変わります。その時神との間に祝福の契約が結ばれました。その後紆余曲折を経ながら、約束されたサラとの間に誕生したのがイサクです。アブラハム100歳の時でした。

あり得ないことが起こった、受け入れがたい驚きの出来事です。実際夫婦共に苦笑をしてしまいます。神はアブラハムを試されました。待ちに待って与えられた宝、その子イサクを献げよと主は命じるのです。アブラハムは理不尽な神のご命令に文句も言わず従います。イサクは父に聞きます。犠牲の子羊は何処にいるのかと。その時の父の心境は如何に。大切な跡取り息子を献げねばならない。悩まなかったらうそになります。主が与え主が取りたもう、言うのは簡単ですが実行は困難です。主が備えて下さる、信仰はそこに立てるか否かです。必要なものを与えて下さる方に委ねられるかが問われます。イサクの奉献の話は主イエスの十字架のお姿を示します。父なる神の愛がそこにある。

(2018年10月21日礼拝説教より)

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