札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「安息日をこころに留め、これを聖別せよ」

更新日:2015.3.23

出エジプト記20章8-11節(旧P126)
マルコによる福音書3章1-6節(新P65)

習志野教会:高 萬松 牧師

人間に真の人間としての生き方を最低限与えたのが十戒ですが、今朝学びたいのは第四戒です。この戒めは安息日を守ることが基本となっています。それを守るべき理由が三つあります。第一の理由が、今朝のテキスト。第二の理由が申命記第5章15節。ここでは出エジプトの事件と関わっていますので、この戒めを守って、神の恩寵を確認することでしょう。第三の理由は、安息日を守るということが神との契約への応答だからです(出エジプト記31章12節から17節)。

では、この安息日をどのような日として理解すべきでしょうか。それは「聖別せよ」という言葉に凝縮されています。「安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日と呼ぶ」(イザヤ書第58章13節)という姿勢と等しいでしょう。「尊ぶ」という言葉が英語でhonorableと表現されていますように、この言葉は安息日の主が神であるということを認めることです。17世紀の清教徒たちは私たちの亀鑑となると思われます。彼らにとって安息日の聖別とは、その日が天的召しの仕事を遂行する日、喜ばしい特権を持って、恵みの手段として活動する日と理解されたのであります。

旧約時代の安息日は週の第七日目でしたが、それが新約時代には、主イエスが復活なさった週の初めの日、日曜日に変わりました。アウグスティヌスが『告白録』という本の中で「あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができない」と申しましたように、私たちの希望は「神の安息」(ヘブライ人への手紙第4章10節)にあります。私たちの人生は安息日から安息日へと繋がっています。人生において残っている「安息日」はそれほど多くありません。御言葉に全人格を持って従順し、神の安息、永遠の安息の祝福を待ち望みたいと願います。

(2015年3月15日礼拝説教より)

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