札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「天に富を積みなさい」

更新日:2016.6.27

マタイによる福音書6章19-24節(新P10)

牧師:米倉 美佐男

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(21節)
断食問題では父なる神がすべてを見ておられるのだから、人に見てもらうために、自分のしていることをいたずらに吹聴しないで、神にすべてを委ねなさいと主イエスは言われます。この箇所には、世におけるキリスト者の在り方について語られています。
「地上に富を積んではならない。」(19節)

「富」あるいは宝とも訳せます。富や宝は金銭、お金のことだけではありません。富とは倉庫に置く、積み上げるという意味を持っています。後生大事にしている物や才能、能力も含まれます。地上に富を積むな、と言われます。なぜなら、虫が食ったり、さびついたり、盗み出されてしまうような、危うさ、はかなさがあるからです。それに対し、天に富を積め、ということは自分のためではなく、神や他者のためにということです。与えられた「富」、それらは神から預かったものなのです。それらを用いて天国への旅をまっとうしなさいと主は言われます。

「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。」目は澄んでいなければなりません。濁った目は物事を直視せず、正しい判断ができないからです。目が濁ると迷走してしまうのです。「だれも、二人の主人に仕えることはできない。」主人に仕える僕は、「神と富に仕えることはできない」のです。神と富はあれもこれもではなく、あれかこれかの二者択一の関係です。また別な表現をすれば、信仰の問題です。言うまでもなく絶対者は神様です。絶対でない富を絶対にしてはならないのです。だから大事なことはだれに自分自身の心を明け渡すかということです。心を神に明け渡す時に真の平安があります。平安がないのは富を天に積んでいないからだと、主イエスは語っておられるのです。

(2016年6月19日主日礼拝説教より)

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