札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神殿税」

更新日:2017.8.28

マタイによる福音書17章22-27節

牧師 米倉 美佐男

主エスはご自身の受難と復活を再び弟子たちに告げられました。弟子たちはそのことが受け止められず非常に悲しみました。そして次の出来事が起きます。ガリラヤの地、カファルナウムで、神殿税を集めにきたものたちがペトロに、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか。」(24節)と言います。「神殿税」とはもともとの言葉は2ドラクマです。半シケル銀貨、2デナリに当たります。20歳以上のイスラエル男子が毎年納めることになっていたのです。
(出エジプト30・13-15)。

ペトロは咄嗟に「納めます」と答えました。ペトロが家に入るとイエスのほうからお声がかかり、「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか.自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」(25節)、ペトロは「ほかの人々からです」(26節)、と答えます.するとイエスは言われた.「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。」(26節)。

王の子はイエス、ほかの人々は一般の人々。王は神です。ならばイエスは納める必要はありません。受ける立場にあられるお方です。宮よりも大いなるお方なのですから。ペトロはそう言うべきでした。でも言ったら大変なことになります。神殿税を集める人々はファリサイや律法学者、祭司長たちに比べると立場の弱い人たちです。イエスは彼らを配慮され、つまずかせないように、彼らがいざこざにまきこまないために奇跡を起こして納めよと命じられます。
納められる金額ですが二日働けば十分に支払えるのです。
その意味では弟子を教育するためでした。「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」(フィリピ2章4-5節)。

(2017年8月20日主日礼拝説教より)

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