札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「初めに言があった」

更新日:2011.5.22

ヨハネによる福音書1章1-5節

牧師:米倉 美佐男

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1節)。
今回からヨハネによる福音書を通して主の日のメッセージを聞きます。私たちプロテスタント教会が大切にしてきたことが3つあります。聖書・キリスト・信仰です。
特に聖書を神の言葉として大切にしてきました。しかし聖書は神ではありません。キリストを証しする唯一のキャノン(正典)です。私たちは聖書を信仰的に、教会的に読む姿勢を忘れてはなりません。

ヨハネの最初の部分は冒頭に読まれた通り、イエスをロゴスと証ししています。「初めに言があった」(1節)。言=ロゴス(ギリシャ語)をイエスを証しするのに最適な語として採用したのです。イエスがキリストである。イエスは神である。それを初めに言があったと証ししたのです。この福音書を読む、聞く人々に響くようにヨハネは伝えたのです。初代の教会ができてから40年以上もっと60年はたっていたでしょう。ギリシャ・ローマ世界に伝道して、聞く人々に身近な馴染みある語に置き換えたのです。

神が「光あれ」と言って作られたこの世界、神の言による創造の業が示され、神の言は神の御旨、御意志、御力、その御業がイエスにおいて表されたのです。イエスは先在の永遠のロゴスです。イエスは光であり、闇の中で人を導くお方、真の救い主です。それがこの福音書の挨拶です。「光は暗闇の中で輝き、暗闇は光を理解せず」、闇を照らしてくれる光が来たのに、闇はそれを理解しない、受け入れない。それは何故なのでしょう。この書の書かれた目的は「あなたがたが、イエスは神の子メシヤと信じるため、信じてイエスの名により命を受けるため」でした。闇の世界は今も続いています。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(812)。イエスに従い、光の子として生かされましょう。

(2011年5月22日礼拝説教より)

前のページに戻る