札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「復活の主を見るわたしたち(イースター)」

更新日:2023.4.17

ヨハネによる福音書第20章1~18節

小林克哉 牧師

イースターおめでとうございます。神と等しく、父なる神と一つでおられる御子イエスさまが死の力を打ち破りご復活なさったのです。主は生きておられます。しかしマリアは信じていなかった。認めていなかった。事実目の前に神の不思議な出来事が起こっても分からなかったのです。自分の考えの中に神を閉じ込めてしまっていたからです。墓の中に閉じ込めてしまっていたからです。神さまはここまでならできるが、ここからはできないと勝手に決めてしまっていたからです。だから墓の外で、生きておられ働かれる主に気づかない。
科学的、理性的、合理的、常識的。そう言って、わたしたちが気づかないでしまっている大切なことがあるのではないでしょうか。そもそも<神>を括弧に入れて物事を考える<神>なき理性は本当の理性でしょうか。「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。」(14節)気づかない、気づこうとしない罪人に、しかし語りかけてくださる方がおられるのです。「イエスは言われた。『婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。』・・・・イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」(15-16節)
わたしたちも礼拝で同じことを経験しているのです。今日、主はわたしたちに語りかけてくださっています。何度、わたしたちは御言葉により気づかせてもらったことでしょうか。礼拝で御言葉を聞き、気づいていなかったことに気づかされ、このわたしに神の守りと導きがあったこと、生ける主が共におられ支えていてくださったことにです。
死に勝利され、今も生きておられる主イエスさまとお会いした喜びの中で、マリアは証言したのでした。「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」(18節)イースターのメッセージは「わたしは主を見ました」です。主がご復活し、今も生きて働いておられるのをマリアと共に「わたしたちは見ました!」と、この2023年度も告げていくのです。

(2023年4月9日礼拝説教より)

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