札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「悲しみは喜びに変えられる(ヨハネ44)」

更新日:2022.10.17

ヨハネによる福音書第16章1-24節

小林克哉牧師

イエスさまは「わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている」(6節)と言われました。イエスさまが弟子たちの身にも迫害があり、イエスさまとの別れがあると告げられたからです。どうしてこんなことが起こるのかとか、もう会えなくなるのだということで、わたしたちは悲しみに心満たされてしまうものです。しかしイエスさまは、ご自身が去って行かれるのはあなたがたのためになると、弟子たちに言われます。それは弁護者=聖霊が来られるからです。聖霊によりイエスさまとイエスさまによってもたらされる救いの恵みが明らかになるのです。真理を悟ることになるのです。
わたしたちには、悲しみは喜びに変えられると言ってくださるお方がおられるのです。誰かが悲しみは喜びに変えられると言っても、何でそれが確かだと言えるのかと思ってしまうかもしれません。しかし、わたしたちにそのように語りかけてくださっているのはイエス・キリストです。独り子なる神、わたしたちのために人となり、わたしたちを救うために十字架で身代わりとなり贖いの死を遂げてくださったお方です。三日目に復活し今も生きておられる主です。天地万物を造り、罪よりも、死よりも強いお方です。そしてわたしたちを愛しておられるお方です。そのお方が言われるのです。
その日には、悲しみは終わりを迎えます。その日、イエス・キリストとお会いするのです。誰もどんなものも奪うことのできない喜びが与えられるのです。どんな人生を生きていたとしても、労苦が多くても、涙が尽きなくても、悲しみがあっても、約束してくださるお方がおられるのです。礼拝とは、この喜びを経験する時です。あなたがどんな一週間を過ごして来たとしても、今日、イエス・キリストはあなたに出会ってくださっているのです。ここにご臨在くださり、あなたに約束してくださっているお方がおられるのです。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」(20節)アーメン

(2022年10月9日礼拝説教より)

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