札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「受苦」

更新日:2014.9.1

マタイによる福音書20章28節(新P39)

牧師:米倉 美佐男

ハイデルベルク信仰問答 第十五聖日
問三十七〜三十九
問三十七 「苦しみを受け」という小さな句は、何を、意味していますか。
問三十八 何故、裁判官ポンテオ・ピラトの下に、苦しみを、お受けになったのですか。
問三十九 主が、十字架につけられた、ということは、他の死に方をなさった、ということよりも、さらに、ほかの意味があることでしょうか。

問三十七の答は、主が、全人類の罪に対する、神の怒りを、身と魂とをもって受け、その御苦しみを、唯一の宥(なだ)めの供え物として下さったことです。われわれの魂はそれによって永遠の刑罰より救われました。問三十八の答は、主が、この世の裁判官の下に、罪なくして罰せられ、われわれの上に、宣告せらるべき神の厳しきさばきを取り除くためでした。問三十九の答は、十字架だけがわたしの上にかかっていた呪いを、主イエス御自身がになって下さったことを示しています。

使徒信条は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と告白します。主の十字架は復活と共に私たちの信仰の本質、中心です。代々の教会が最も大切なこととして伝えた福音はキリストが、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したことでした。命をかけて教会は証言してきたのです。十字架は主の苦しみそして、父なる神への全き服従でありました。御子が私のために十字架上に犠牲となって下さったことを見ることができる者は変えられるのです。主の十字架の贖いは神の裁きから解放される生き方を備えてくれます。主の苦しみと死は私たちのためでありました。人の子は、仕えるために、自分の命を献げるために来られたのです。

(2014年8月24日礼拝説教より)

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