札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主を試してはならない」

更新日:2015.3.2

申命記6章10-16節(旧P291)
ルカによる福音書4章1-13節(新P107)

相良教会・南遠教会:桑 渚牧師

受難節を迎えました。灰の水曜日(18日)から日曜日を除く40日間、イエス様の十字架への道のりを思い起こしつつ、主の十字架と復活の時を迎える備えの時を持ちます。
イエス様は洗礼を受けられてから、40日間、悪魔から誘惑を受けられました。悪魔はイエス様に言います。「神の子なら、この石をパンになるように命じたらどうだ。」それをしたら一瞬にして人々はイエス様をあがめるようになることを促したのです。しかし、イエス様はこの悪魔の誘いに乗りません。「『人はパンだけで生きるものではない。』と書いてある。」

イエスさまにとって、一番の誘惑は、神様の御心である十字架を負わないことであったと思います。神の子であるならば、悪魔の言ったことをすべて行うことも、十字架を負わない選択もできたはずです。しかし、イエス様はそうはされませんでした。わたしたちの罪を赦すため、救いのために、奇跡的な力で人を支配するのではなく、悪魔の誘いに乗らずに十字架への道を歩まれたのです。

わたしたちクリスチャンにとっての誘惑は、主の十字架を負わないこと、全能の神様を信じないことではないでしょうか?悪魔は私たちを神様から引き離そうと一生懸命に働きかけます。神様の愛された人と人同士を争いに巻き込みます。疑いの心を抱かせ、愛が冷えます。私たち人間は本当に弱い存在ですから、神の武具がなければ、やすやすと負けてしまうのです。

私たちも礼拝によって神様の霊で満たされ、それぞれの生活へと遣わされて行きます。その中で荒れ野のような誘惑や試練や信仰が削られてしまうような出来事に遭遇するでしょう。その時私たちを守り救って満たしてくれるのは、神様の言葉と祈りです。私たちも神様の言葉を悪魔のように勝手に聴くのではなく、神様の心を求めて聞きましょう。

(2015年2月22日礼拝説教より)

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