札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「人の子が来る」

更新日:2018.5.14

マタイによる福音書24章29-31節(新約P48)

牧師 米倉 美佐男

聖書は不思議な書です。天地創造の話に始まりヨハネの黙示録の最後の審判で終わります。聖書はイエスが真のメシア(キリスト)であるとの証言の書です。旧約から新約まで一貫している点があります、初めがあって終わりがあることです。アルファからオメガまで、最初にして最後、「初めに、神は天地を創造された。」、「光あれ。」で始まり、最後は「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。で終わります。

今朝の箇所は終末時の切羽詰まった近々の出来事がイメージされています。「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ」、とあります。最後の審判の時、それは救いの完成の時ですが、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを
見ると言います。救われる者にとって本来は喜びの時です。けれどもその日は地上のすべての民族は悲しむのです。裁きを逃れることができないからです。

神により縮められた期間の後、たちまちにして終わりの時がきます。「たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」、天のもろもろの力、日や月や星の異変が起こります。それらが空から落ちるとはあらゆる創造世界の崩壊です。被造物世界の滅びの出来事が起こります。「そのとき、人の子の徴が天に現れる。」、キリストの再臨です。地上のすべての民族は悲しみます。けれど人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。それが徴です。徴とはメシアの出現です。「人の子」とはメシアです。キリストの称号です。キリストが終末時に再臨され、王の王として来られます。その時大きなラッパの音が鳴り響き、その時の始まりを知らせます。キリストは死せる罪人のいるところに来て下さり、信じ、従う者を救ってくださるのです。ですから審判の時は嬉しい時、喜びの時であるのです。

(2018年5月6日主日礼拝説教より)

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