札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「聖書が証する真実(ヨハネ15)」

更新日:2022.2.10

ヨハネによる福音書5章31-47節 (新173頁)

小林 克哉 牧師

ユダヤ人は聖書を研究し、神のみ心である律法を徹底的に守れば永遠の命を得られると考えていました。それは実に熱心なもので、律法を守るため更に掟を定め守ったのです。しかしそこで生じたのは律法や掟を守ることによる人から評価や誉れ、そして自分はやったという自負や誇りでした。
人からの誉れを求めること。自分はこれだけやっているとの思い。それが信仰でしょうか。しかし自分にもこの罪があると思わされています。教会の人からどう評価されるか。これまでの牧師としての実績。そんなことがわたしを牧者・伝道者として立たせるわけがないのに。人の誉れを求める。惨めな罪人の姿をしている。ただ神が恵みにより一方的に選ばれた召しがわたしを牧者・伝道者としているのにです。
これは牧師・伝道者だけの問題ではないでしょう。教会役員であれ、キリスト者としても。わたしたちをキリスト者たらしめるのは、イエスさまが十字架で成し遂げられた贖いの御業だけです。十字架による罪の赦しによって与えられる神の子としての永遠の命の栄光。わたしたちはただ神に感謝するしかありません。そのことが人の誉れでなく、神への愛をわたしたちに与えるのです。
先日、消防訓練をしました。その中で非常口の確認をしました。火災が起きる。避難するにはこちらの道しかない。「こっちです」と叫んでも誰も来なければ、皆死んでしまうのです。他にあるなら別です。イエスさまはどうしてわたしのところへ来ないのかと言われるのです。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」(39-40節)
今朝、わたしたちはイエス・キリストを証ししています。イエス・キリストこそ、あなたを救う神、永遠の命を与えてくださるお方です。ご臨在の主は今日も御言葉と聖餐によりわたしたちを養い生かしてくださるのです。そして「わたしのところへ来ようとしない」と語りかけてくださっているのです。さあ、イエスさまのところへ参りましょう。
アーメン

(2022年2月6日礼拝説教より)

前のページに戻る