札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「クリスマスの平和(降誕⑤)」

更新日:2023.1.6

ルカによる福音書第2章8~20節

小林 克哉牧師

クリスマスは平和を覚える時です。この地に平和がもたらされることを祈り求め、それぞれに出来る小さなことをなしていきたいと願います。わたしたちが考えているのは人と人との平和ではないでしょうか。あるいは環境との平和です。聖書はそれを生み出すもっと根源的な平和について語っています。それは「神と人との平和」です。
聖書はわたしたちにとって最も重要なことは神との関係であると告げています。経済問題、健康問題、人間関係、国際情勢、自分自身の内面問題などさまざまなことがわたしたちを取り巻いており、それらこそ重要だと考えている現代、そこに生きるわたしたちに向かって、聖書は神関係こそが重大だと告げているのです。わたしたちが気付かなくても神はそのことをご存じです。ですから神の方から、神自らがわたしたちとの間に平和をもたらすために、マコトの人となって来てくださったのです。それがクリスマスです。
羊飼いたちが探し当てたメシアは、剣を帯びローマ帝国の軍隊と戦い蹴散らしてくれる姿からはほど遠いもの、当時人々の求めていたメシアとはほど遠いものでした。「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(16節)。乳飲み子です。そのお姿は罪人を裁き滅ぼす恐ろしい神の姿からもほど遠いものでした。
布にくるんで石の飼い葉桶の上に寝かされている乳飲み子の姿は、やがてこのお方が十字架で死なれ、布にくるまれ墓の中の石の上に寝かされている姿を暗示しています。イエスさまは十字架の死により贖いの御業をなさり、わたしたちに神との和解をもたらしてくださったのです。十字架により神との平和が実現するのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(14節)
救い主イエスさまとお会いし、神との和解を得て、羊飼いたちは野原に帰って行きました。変わらない日常が待っています。貧しいままでしょう。しかし「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20節)のです。神をあがめるとは神が大きくなるということです。他のことでなくわたしたちにとって神のことが大きくなり、神を賛美するものに変えられるのです。アーメン

(2022年12月25日礼拝説教より)

前のページに戻る