札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主イエスは命のパン」

更新日:2022.3.16

ヨハネによる福音書6章34―59節(新175頁)

小林 克哉牧師

イエスさまのもとにはたくさんの人たちが集まって来ました。それぞれに求めがあり、与えてもらいたいものがあったようです。ご自身のもとへやって来る人々をご覧になり、イエスさまはどう思われていたのでしょうか。イエスさまには、その一人一人にどうしてもお与えになられたいものがありました。
教会員の葬りの務めが続きました。愛する者の死。涙する家族。本当の慰めと希望とは何か。ご家族に寄り添いながら葬りの務めを果たす牧者として改めて思いを強くしました。召された兄弟が記していた文章に「人生の完成」へと向かうということが書かれていました。わたしたちの命の完成、それは復活と永遠の命であるとイエスさまは言われます。それはパンを食べても得られないものです。
パンは今日明日の活動のエネルギーではあります。しかしパンを食べても、どんなに科学とテクノロジーの発展により寿命を限りなく伸ばすことができるようになっても、命の完成である復活と永遠の命を得ることはできません。「命のパン」(35節)が必要なのです。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(51節)
イエスさまの肉、その血にあずかる。聖餐が示しているのはこの主イエスの肉と血です。イエスさまは十字架で肉を裂き、血を流し、わたしたちのための贖いの死を遂げてくださったのです。それは実に具体的な出来事でした。肉を裂き血を流しご自身のすべてを、その命のすべてを与え尽くしてくださったのです。口だけ気持ちだけのことではないのです。このお方の十字架の死によりわたしたちは生きるのです。
わたしたちはイエスさまが十字架でご自分のすべてを与え尽くしてくださったことを本当には分かっていないのではないでしょうか。ズレており、とんちんかんなことを求めている者にも、イエスさまは与えようとしてくださるのです。このお方が肉を与え血を与えてくださったことによりわたしたちは生きることができるのです。主と一つとされ、主の内にあるもの、主がわが内におられる、主のものとされてわたしたちは生きるのです。

(2022年3月6日礼拝説教より)

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