札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「造られた人間」

更新日:2018.8.20

創 世 記 2章4-8節(旧約P2)

髙 アンナ神学生

人間は土の塵で造られ、神により命の息を吹き入れられて初めて「生きる者」とされました。そして神さまはエデンの園を設けられ、これを耕し、守る者として人間を置かれました。人は働くために創造されたのです。
宗教改革者は、労働の目的は、神の栄光をあらわすためであると言いました。しかし、この労働は、職業や仕事を必ずしも意味するのではありません。私たち人間には「つとめ」があります。それは一人の人間であるということです。私たちの人生全体が神さまから働く場所として与えられたものであり、一人の人間として様々な立場の中で神さまに仕えることが「神に召された聖なるつとめである」と言います。
そして、それを可能にするのは、イエス・キリストにおいてであります。聖書は、主イエスこそ、私たちに仕えるために来られたとあります。主イエスの十字架の死とその復活が、私たちに対する主イエスの最も重要な奉仕である、と語ります。

Ⅰコリント15:42~44には、神さまが人間に命をお与えくださったことを、種まきに例えます。「朽ちるもの、卑しいもの、弱いもの、自然の命のからだ」。それが人間です。しかし、それは神がお蒔きになった。農夫のように、喜びと希望とをもって、蒔いたのです。そして、種は芽を出し、成長し、豊かな実りを実らせるように、「朽ちないもの、輝かしいもの、力強いもの、霊のからだ」によみがえるのだ、と言います。

被造物である私たちが、イエス・キリストにおいて神さまとの交わりへと招かれていること、神さまが主イエス・キリストを救い主として遣わしてくださったこと、そしてそれによって、わたしたちが主の下へと招かれていること、それが私たちの感謝の源であるといえるでしょう。

(2018年 8月12日礼拝説教より)

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