札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「だれを捜しているのか」

更新日:2018.4.7

ヨハネによる福音書20章11-18節(新約P209)

牧師 米倉 美佐男

「婦人よ、なぜ泣いているのか。」 (13節)

婦人よなぜ泣いているのか、マグダラのマリアは天使と復活の主イエスから聞かれました。イエスはさらに、だれを捜しているのかとも聞かれます。泣いていたのは悲しいから、捜しているのはあるはずの主のご遺体です。
今日はイースターです。コリントの信徒への手紙一の15章3-8節に最も古い復活証言が記されています。著者パウロは、最も大切なことは彼自身が受けたものであり、それは聖書に書いてある事だと言っています。

主イエス・キリストが「罪のために死んだこと」「葬られたこと」「三日目に復活したこと」を受けたのです。そしてそれを伝えたのです。主の復活を最初に目撃したのはマグダラのマリアでした。どの福音書も、週の初めの日(日曜日)の朝早く、空の墓の出来事を記録しています。
その現場を最初にマリアは泣きながら見たのです。墓は空で主のご遺体はなく、戸惑うマリアに語りかけたのが天使たちと主ご自身でした。

マリアはわたしの主が取り去られた。どこに置かれているのか、わたしには分からないと訴えます。その時後ろに主が立っておられました。マリアはそのお方がイエスだとは分かりません。イエスが婦人よ、なぜ泣いているのか、だれを捜しているのかと聞いてもマリアは気がつかないのです。主から「マリア」と呼ばれて彼女は振りむき、即座に「ラボニ」(先生)と答えました。この瞬間こそ失われそうになった信仰の回復の出来事でありました。牧者と羊の関係の回復の時です。主の呼ぶ声に気づき答える時、そこに主が共にいてくださるのです。死も生も支配される復
活の主に出会い委ねるのです。生きた方を死人の中に尋ねるのでなく、今も共にいてくださる方を信じて歩むのです。

(2018年4月1日主日礼拝説教より)

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