札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「わがため救い主は見捨てられた(十字架の七言3)」

更新日:2023.3.6

マルコによる福音書第15章33-39節

小林克哉 牧師

イエスさまが十字架の上で発せられた言葉は七つあります。御父へと向かい、罪人が赦されるため祈られます。犯罪人へと向かい、救いの宣言・約束を与えます。十字架のもとに集まってくる者たちへと向かい、神の家族として結びつける言葉を語られます。再び、イエスさまは御父へと向かわれます。「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(34節)
イエスさまは「アッバ、父よ」とこの上ない親しさをもって祈られ、天からは「あなたはわたしの愛する子」との御声がありました。イエスさまは「父とわたしは一つである」と言われました。しかしこの時イエスさまは「アッバ、父よ」ではなく「わが神よ」と言われます。距離を感じます。一時も離れることのない永遠の愛の交わりにおいて唯一の神であられる御父に対し御子がです。御子が御父を見失っているようにすら思えるのです。聖書は、「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶望の叫びを上げ、死んでいかれるお方こそ、「本当に、この人は神の子だった」(39節)と証言されるのです。このお方こそ神であられるのです。
御子はわたしたちの罪のために身代わりに神の裁きを引き受け、御父から見捨てられたのです。そのことにより、わたしたちは罪赦され、神に見捨てられない者とされたのです。
先日葬儀がありましたが、その準備で、死を意識し弱さを覚えた姉妹が、召される前に、神は見捨てないことを知っていると記している言葉を読みました。死の病において、神から見捨てられたと思う人があるかもしれません。人は一人で病み、一人で死んでいかなければなりません。しかし、そこで神と出会うのです。わたしたちが絶望の叫びを上げるとき、神に見捨てられたと叫ぶとき、わたしは孤独ではないのです。そこにイエス・キリストが共におられることを知るからです。絶望の叫びを上げる御子イエスさまが、わたしたちを決して見放すことも見捨てることもないのです。

(2023年2月26日礼拝説教より)

前のページに戻る