「誇る者は主を誇れ(年度聖句)」
更新日:2025.5.7
コリントの信徒への手紙一 第1章18-31節
小林 克哉 牧師
パウロは誇りについて語ります。人は何かを誇りとしなければ生きられないからでしょう。26節に知恵や能力、家柄と出てきますが、それらを誇りにしていた人がいたということでしょう。それによって今の自分があるし、自分であることができると言えるものです。自分がこれまでどれだけのことをしてきたか、その努力や実績、どれだけのことができ知っているか、その能力や知恵などです。
元々パウロはイスラエルの民として、自分の誇りを持って生きていた人でした。しかし十字架の言葉により救われ、変えられたのです。コリント教会の人々もそうでした。ところが再び自分の知恵を誇るようになり、十字架の言葉から離れようとしていたのです。パウロはいてもたってもいられない思いでこの手紙を書き送ったようです。
もしかすると、わたしたちの教会も世の知恵や能力、家柄を誇りとし、十字架の言葉から離れてしまう誘惑に陥りやすい教会かもしれません。クラーク博士の門下生から始まる教会。札幌で最も古く伝統あるプロテスタント教会の一つ。有形文化財の礼拝堂で毎週ささげている礼拝。皆さんの中には、立派に見えた信仰の先輩を誇りに思っている人があるかもしれませんし、いつの間にか自分もそのように立派に見られたいと、自らを誇る罪への誘惑を受けている人があるかもしれません。
ただイエス・キリストの十字架がわたしたちを救ってくれるのです。イエスさまが「わたしがあなたの誇りになろう」と言ってくださるのです。誰かから誉められなくても、自分で自分を誇ろうとしなくてももういいのです。イエスさまがわたしたちの誇りとなってくださっているのです。
「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」(31節)新しい年度、この御言葉を心に刻み、教会の歩みに刻み、この御言葉に導かれて一年間歩んでいきたいと思います。誰かが自らを誇り、自分たちを誇ったら、「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるでしょう」と互いに諭し合うようにしましょう。ただ神を信じ、神をほめ讃え、神に感謝して歩んでまいりましょう。アーメン
(2025年4月27日礼拝説教より)