札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「救いをもたらすために」

更新日:2014.1.27

ヘブライ人への手紙9章23-28節(新P411)

牧師:米倉 美佐男

「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度献げられた後、二度目には罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。」(9章28節)
ここにキリスト教信仰の一番大事なことが証されています。私たちが救い主と信じるイエス・キリストがどのようなお方であるか、そして何故キリストと信じられているのかが示されています。

毎年教会ではクリスマスを祝います。「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1・14)。クリスマスは真の神の子が真の人となってくださったことを覚える時です。人となり、誕生された主イエスが真の神であり、救い主が私たちの内に宿ったのです。それは単なる言葉や思想ではありません。信仰は観念やイデオロギーではないのです。ヨハネが「わたしたちの間に宿られた」と証する時、キリストが私たちと共にいることを実感するのです。キリストとの交わりがあるからどのような時にも絶望せずに生かされるのです。

著者はローマ帝国による皇帝礼拝の強要によって、背教の危険にさらされている信仰者たちに、どのような苦境も苦難も主イエス・キリストを信じていれば大丈夫だということを忘れるなと言うのです。キリストは大祭司として私たちの罪を御自身の肉体を犠牲として贖ってくださいました。それが十字架の意味です。26節以下に書かれているように、ただ一度だけの出来事として、救いの完全性も意味します。迫害に会い、命の危険性を感じて、腰砕けになり、信仰を捨て逃げ出そうとした者たちに、著者が思い出させようとしたのは、主イエスに出会った時の喜びの回復です。そして大切にすべきことは、代々の教会が受け継いできた「我らの主よ、来たりませ(マラナ・タ)」と祈り続けることなのです。

(2014年1月19日礼拝説教より)

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