札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の赦し」

更新日:2016.4.18

マタイによる福音書5章21-26節(新P7)

牧師 米倉 美佐男

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。」(21節)21-48節は聖書の正しい理解の仕方とそれに基づく正しい生活が語られています。第一の例が21節の「殺すな」です。これは十戒の第六戒です。「殺した者は裁きを受ける」はどこにも書かれていません。ただ十戒の解説箇所にはこのような趣旨が示されています。

「あなたがたも聞いている通り」と仰られ、同時に「わたしは言っておく」と語られます。続けて、「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(22節)兄弟に対する怒り、憎しみはやがて人を殺すことへと発展し得る危険性があるのです。聖書が「殺すな」と命じているのに、知識としてそれを知っていても他人事のように、自分の問題にしないのは律法学者やファリサイと同じだと言うのです。他人事でなく自分自身の問題なのです。

自他共に命を奪うということは大きな罪です。心と心の対立がすでに人を殺すという罪に結びつくのです。相手に対する怒りが危険です。理由の如何を問わず、とにかく仲直りをしなさいと命じます。例え相手に責任がある場合でも出向いて相手の罪を警告して和解しなさいと言います。祭壇に献げ物をする前に、礼拝前にということです。和解の努力もしないで礼拝しても神様は喜ばれないと主は言われます。「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」(ホセア6・6)。和解の勧告は最後の審判を意識して聞くべき言葉です。私たちは誰一人例外なく判決を受けに行く有罪な被告です。だから、地上での事柄のみならず、神の裁きの前に立ち、その時がいつ来てもいいように備えて歩む必要があるのです。

(2016年4月10日復活節第3主日礼拝説教より)

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