札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の子とする霊」

更新日:2016.5.30

マルコによる福音書1章9-11節(新P61)

宣教師 ディヴァン・スクルマン

マルコによる福音書の1章9節からイエス・キリストの働きの始まりが書かれています。イエスは働く前に、まず洗礼者ヨハネのところに行って洗礼を受けました。イエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのは人間と同じになられたからです。イエスは私たちのために罪を担われたのです。フィリピ2:7、「キリストはかえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れました」。コリントニ5:21「罪と何のかかわりもない方を、神は私たちのために罪となさいました。私たちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

10節に、イエス・キリストが洗礼を受けられた後、「天が裂けました」。この言葉は重要な言葉です。これは神と人の間の密接な関係が表れています。天が裂けて“霊”が鳩のようにイエス・キリストの上に降りました。聖霊は神の力を代表しています。イエス・キリストの上に聖霊が降り聖霊の力が満ちています。イエスが福音を伝え、奇蹟を行う力です。11節には重要な考えが強調されています。イエス・キリストは神の子です。「お前は私の子/今日、私はお前を生んだ」。更に「愛する」という言葉があります。それはイエスと神と私たちの密接な繋がりを表します。ヨハネ14:7「あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

今日の聖書の箇所を通して、信仰の問題の幾つかを一緒に考えたいと思います。一つ目は、洗礼を受けることで、より大事なことは、心から本当に悔い改めることです。悔い改める人が、神の救いの対象です。洗礼を受けることは信仰のレベルを自慢する事ではありません。福音を告げ知らせるためであり、キリストの十字架をむなしいものにしないためでした。もう一つは、人は自分で悔い改めることを知ることができません。しかし神はいつも人の心を見ています。最も大事なことは謙遜と悔い改める心を持つ事です。私たちはイエス・キリストの救いを得て、キリストの体である教会を建てて行くのだと思います。

(2016年5月22日主日礼拝説教より)

前のページに戻る