札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の真理により自由とされて」(ヨハネ25)」

更新日:2022.5.17

神の真理により自由とされて

小林克哉 牧師

イエスさまは、「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ・・・が分かるだろう。」(28節))と言われます。「わたしはある」は神がご自身を顕現される際の言葉ですが、イエスさまがご自身神であられることを示された言葉だと言えるでしょう。人の子が上げられるとは、イエスさまが十字架に上げられ、死人たちの中から上げられご復活することです。神の独り子イエスさまが父なる神と一つであられるという神の真理が、十字架と復活により示されるのです。
イエスさまは、「もし、子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。」(35節)と言われます。子なる神が罪の奴隷である者たちを自由にされるのです。キリスト者となった今も尚、わたしたちは罪を犯しますが、十字架による罪の赦しによって、もう罪からもその責めからも自由にされているのです。<罪赦された者の自由>を与えられているのです。また他の誰か何かの奴隷になっては元の木阿弥でしょう。人間はまことの神なしには、偶像に仕える以外にありません。イエスさまを「殺そうとしている」(37節)とありますが、神を殺し自分が神になる自己神格化も、まことの神でない者(わたし)を偶像にしているに過ぎません。唯一真の神を神とする以外にまことの自由はありません。それがキリストの言葉にとどまることであり、神の真理による自由なのです。
「霊と真理をもって父を礼拝する」(第4章23節)、ここに自由にされた者の姿があるのです。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知ることになる。」(第13章35節)ここに自由にされた者たちの姿があるのです。ただ神だけが神であり、それ以外のものに支配されていない姿です。血のつながりでも、個人的親しさでもなく、主のゆえに互いに愛し合う群れである教会の姿も、まことに神だけをわが主、わが神として礼拝している姿もイエス・キリストという真理により自由とされている者たちの姿なのです。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(31-32節)アーメン

(2022年5月8日礼拝説教より)

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