札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「恐れるな」

更新日:2016.4.4

ヨハネの黙示録1章9-20節(新P452)

牧師 米倉 美佐男

「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。」(17、18節)

主の復活の日の朝、空の墓の前でみ使いが伝えたのは、主イエスは死人の中からよみがえられ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれそこで主にお会いできるということでした。復活の主と出会い、伝道者として召されたパウロは言います。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと」(コリント一 15章3、4節)。

私たちもこの時代の中で教会が伝え続けて来た主イエス・キリストの信仰を継承し、復活の主を証しして参りたいと思います。お読みした、ヨハネの黙示録の時代は一世紀末の時代です。ローマ帝国による教会への迫害弾圧が厳しく、信仰を持っていることが、公にしにくい時代でした。信仰を持つことが命がけの時代だったのです。
12−13節は著者ヨハネの見た第1の幻です。イエス・キリストが大祭司として来られました。そしてすべてをつかさどられます。14節はダニエル書7章9節にある神ご自身のお姿です。15節の大水のとどろきのようで、はエゼキエル書43章2節、神の声は17節、最初で最後の者は預言者イザヤが聞いた神の声です。今も生きて私たちと共に働く、生ける神ご自身である、主イエスを信じることが私たち信仰者を生かす唯一の力です。ここに立つことができるならば私たちもあらゆるわずらいや恐れから解放されるのです。「恐れるな」との御声が響き渡ります。主のみ声を聞き、
復活の主を伝える時、恐れずに歩むことができるのです。

(2016年3月27日イースター統合礼拝説教より)

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