札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神が誓ってくださるから(マタイ⑭)」

更新日:2024.5.7

マタイによる福音書 第5章33-37節

小林克哉牧師

なぜ人は誓うのでしょうか。人が誓うのは信じて欲しいからではないでしょうか。時に自分の潔白を証明するために人は誓うのです。時にこれからの自分に対する愛や信頼を獲得するために誓うのです。イエスさまは「わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。・・・・あなたがたは『然り、然り』『否、否』と言いなさい。」(34,37節)と言われます。
「誓ってはならない」。この教えは一つに、いつでも信頼に足る言葉を使いなさいということです。誓う時だけは本当のことであり真実であると言うのでは、誓っていない普段は信用できるかできないかわからないというになります。いつでも信用されているなら、わざわざ誓う必要もないのです。もう一つに、人間はどんなにその時真剣であっても、本気であっても、誓ったことを果たせるかは分からないということです。誰も明日どうなっているか分かりません。神の名を用いて誓い信用してもらおうとしなくてよい、とイエスさま言われるのです。
人と人とが共に生きていくときに欠くことのできないものが言葉です。言葉なしに人はコミュニケーションを取ることもできませんし、信頼関係を築いていくこともできません。その人を信じるとは、その人の言葉を信じることです。ところがわたしたちはこの言葉において神の御前に罪を犯し、また隣人を裏切りごまかし生きるのです。イエスさまは「誓ってはならない」と教えられます。それは〝わたしが〟という生き方から、〝神が〟という生き方への招きです。
〝わたしが〟は確かではないのです。明日もわからないのです。しかし〝神が〟は確かです。この神が誓ってくださるのです。わたしたちの罪を赦すために十字架につかれ、ご復活されたイエスさまが誓ってくださいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(第28章20節)イエス・キリストにより罪が赦され神がわたしたちと共にいてくださると約束されているのです。わたしたちはただ、この神の事実に「はい(然り)」と言って生きていくのです。アーメン

(2024年4月28日礼拝説教より)

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