札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「誘惑に勝利した主が共におられる(ヨハネ➅)」

更新日:2024.2.19

マタイによる福音書 第4章1‐11節

小林克哉牧師

イエスさまは公の伝道活動を始めるにあたり、洗礼を受け罪人のところにまで身を低くして来てくださり、そして荒れ野で悪魔の誘惑を受けられました。「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、〝霊〟に導かれて荒れ野に行かれた。」(1節)第一の誘惑は石をパンに変えろというもの、第二の誘惑は神殿の屋根から飛び降り神が本当に助けるか確かめよというもの、第三の誘惑は悪魔を拝めば世界のすべてを与えようというものでした。イエスさまは御言葉をもって悪魔の誘惑に勝利されました。
三つの誘惑についていろいろな解釈があります。パンの誘惑は貪欲の罪、神を試す誘惑は不信仰の罪、世界の所有者・支配者になる誘惑は高慢の罪を意味しており、人間が受けるべき罪の誘惑のすべてをイエスさまは退かれた、と説明できます。あるいはパンの誘惑は経済的物質的な救いを与えるメシア、屋根から飛び降りる誘惑は名誉や評判を与えるメシア、最後の誘惑は権力や政治的な救いを与えるメシア、すなわち人間が求めるメシアの姿であって、イエスさまはその求めを退けられた、と言うことができます。イエスさまは悪魔の誘惑を退けられ、そして十字架へと向かわれたのでした。
聖書が、悪魔の誘惑と言った場合、それはわたしたちを、神を信じることから引き離し、神に従うことを止めさせようとするもののことです。もしわたしたちが悪魔の誘惑を受けるならひとたまりもないでしょう。教会の中にも誘惑は入り込んで来ます。十字架より奇跡が欲しいのです。罪の赦しや神との和解ではなくわたしが幸福だと思っているものが欲しいのです。わたしたちは悪魔の誘惑に勝てないのです。
しかしイエスさまは悪魔の誘惑に勝利され、わたしたちに真の救いをもたらすために十字架へと向かわれたのです。誘惑に勝利された主イエスさまがわたしたちと共にいてくださり、御言葉をもって勝利してくださるのです。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。』」(10節)だから、ただ主を信頼し主に仕えて歩んでいきたいのです。アーメン

(2024年2月11日礼拝説教より)

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