札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「エルサレムのために嘆く」

更新日:2018.4.23

マタイによる福音書23章37節-24章2節(新約P46)

牧師 米倉 美佐男

「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」(24章2節)

律法学者、ファリサイ派の人々にあなたがたは不幸だと嘆かれた記事に続き、その思いが「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」(37節)と叫ばれています。

神を恐れぬ彼らの偽善の罪が指摘され、エルサレムに対する悲しみが十字架を前にしていた主イエスの口から発せられます。憎くて滅びを語っているのではないのです。母鳥が雛を保護するように、主もまたイスラエルの民をみ手のうちにおおい、集めようとしたのです。何度も何度も、それなのに、その招きを拒絶し、先祖が預言者を殺したように再び私を拒んでいる。時間を超えて先祖も今の時代もメシアに背いている。その罪は重いのです。

「見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。」(38節)お前たちの家とはエルサレム神殿です。それが冒頭の主の言葉です。神殿はなくなり、選民もいなくなるのでしょうか。確かに建物は永久ではありません、形あるものは無くなります。エルサレム神殿とても例外ではありません。しかし神殿が壊れても、主イエスは3日で立て直すと言われました。その時聞いた人々はみな驚きました。主が言われたのは復活の事です。主イエスの、みからだが神の宮です。主の名によって二人または三人いる所が神の宮、教会です。教会が神の宮、神殿です。教会がイエス・キリストを信じる信仰の霊的神の宮です。「主の名によって来られる方に、祝福があるように」(詩編118編26節)、主の招きに素直に応じ、主の愛に心から感謝して従うのです。

(2018年4月15日主日礼拝説教より)

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