札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主が語りかける者は死んでも生きる」

更新日:2021.10.4

ヨハネによる福音書第11章17-44節(新P189)

小林克哉牧師

札幌教会の墓地に聖句が刻まれています。「我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。」(25節・文語訳)墓の前に立つ者にイエス・キリストがそう語りかけてくださるのです。イエスさまはラザロの墓の前に立たれました。大切な人の死という現実。マリアは泣き、人々も泣き、そしてイエスさまも涙を流されました。マルタやマリア、ラザロのために涙してくださるイエスさまは、わたしたちのためにも涙してくださるお方です。それは愛しておられるからです。イエスさまはまた憤られます。愛する者たちを、悲しみ、絶望や不安によって支配す<死>に憤られたと言えるでしょう。
そしてイエスさまは父に祈られます。「わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」(42節)主がラザロを生き返らす奇跡をされるのは人々が信じるためです。父なる神が遣わされた独り子なる神、復活であり命であるお方を信じるためです。あえて言えば、わたしたちは奇跡や天国、永遠の命があることを信じているのではないのです。わたしたちを愛し、それを可能とする神を信じるのです。天地万物を無から創造したお方、永遠の命、復活の命を与えることがおできになる神を信じるのです。
ルター説教を思い出します。「(終わりの日)死んだ体は太陽や星よりも美しく輝くはずである。キリストがお甦りになって、神が神であられるように、それは確かなことである。…『ヨハネよ、ペトロよ、ラザロよ、そして汝よ出てきなさい。』そして一瞬のうちに我々の手と足は最も美しい姿となり、我々自身が光を放つようになる。これは真実でなければならない。神が神であるからである。」
主は墓の前に立ち、愛する者に語りかけてくださいます。主が語りかける者は死んでも生きるのです。「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」(25-26節)

(2021年9月26日礼拝説教より)

前のページに戻る