札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「栄光の時」

更新日:2013.2.25

ヨハネによる福音書17章1-8節(新P202)

牧師:米倉 美佐男

「なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。」(8節)
先週の水曜日は灰の水曜日でした。この日から受難節に入りました。この期間は悔い改めの時、洗礼の準備の期間として大切に受け継がれてきました。すでに洗礼を受けた者たちも志願者のために祈り、自らの洗礼を受けた時を思い起こし祈り備えるのです。

14章から始まった主イエスの説教は16章で終わり17章は主が祈られた祈りが記されます。この祈りは「大祭司の祈り」と呼ばれています。私たちのために主イエス・キリストしか祈れない祈りです。主が私たちのために執り成してくださった祈りです。三つの部分に分かれます。1)1-8節(ご自身について)、2)9-19節(弟子たちについて)、3)20-26節(あらゆる時代とあらゆる主を信じる者たちのため、あるいは教会のため)。今朝は祈りの第1の1-8節の部分です。「時が来た」、「栄光を与えてください」と記されています。それは十字架のことです。

十字架によって託された務めをなし終えられたのです。
主イエスの働きと主イエスがどのようなお方であったかが示されています。弟子たちはようやく主イエスが神から出たお方であり、その働きが神からのミッションであることが分かったのです。3節「永遠の命とは、唯一のまことの神であられあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」。信じることによって信仰は正しく知ることができるのです。何よりも大切なことは、十字架の時には保身のために敵前逃亡していた者たちでした。主はそのような者を、その弱さを知っていながら、その者たちにすべてを託されたのです。今は弱い小さい信仰であっても、主イエスにつながっているならば、み言葉が育ててくださるのです。栄光、ただ神にあれ(Soli deo Gloria!)。

(2013年2月17日礼拝説教より)

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