札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「まことの信仰」

更新日:2014.6.30

ローマの信徒への手紙1章16-17節(新P273)

牧師:米倉 美佐男

ハイデルベルク信仰問答
 第七聖日 問二十〜二十三
問二十 すべての人間は、アダムによって、失われたように、キリストによって、再び祝福を受けるようになるのでしょうか。
 そうではありません。ただ、まことの信仰によって、主と結びつき、主の恵み深いみわざを、すべて受け入れた人だけであります。
使徒信条
問二十一 まことの信仰とは、何ですか。
 それは、神がみことばによって、われわれに、あらわして下さったことを、みなまこととする堅固な認識だけではなく、聖霊が、福音によって、わたしのうちにおこしてくれる、心からなる信頼のことであります。これによって、他の人々に対してだけでなく、わたしのためにも、罪のゆるし、永遠の義、祝福が、ただ、恩恵により、キリストのみわざのゆえにのみ、神から、与えられるようになるのです。
問二十二 それならば、キリスト者が、信ずべきことは、何でありますか。
 福音において、われわれに約束されていることのすべて、すなわち、われわれの公同の、疑うべからざる、キリスト教信仰の、信仰個条が、要約された形において、われわれに、教えられていることであります。
問二十三 それは、どういう内容ですか。
 われは天地の創造主(つくりぬし)能わざるところなき父の神を信ず。われはその独り子われらの主イエス・キリスト、すなわち聖霊によりて妊(はら)める処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのとき、苦しみをうけ、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死ねる者の中より甦えり、天にのぼり、能わざるところなき父の神の右に座し、また生ける人と死ねる人とをさばきせんために彼処(かしこ)よりきたりたもう主を信ず。われは聖霊を信ず。われは聖なる公会と信徒の交わりと罪のゆるしとからだのよみがえりと限りなき生命(いのち)とを信ず。

「まことの信仰」があるのです。それは使徒信条に告白されていると言うのです。もちろん信仰告白文でなく、告白されている信仰内容そのものです。即ちキリスト告白に生かされることです。そこに約束された救いの全てがあるからです。

(2014年6月22日礼拝説教より)

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