札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「むさぼるな」

更新日:2015.8.31

フィリピの信徒への手紙3章12節(新P365)

米倉 美佐男牧師

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。」(12節)

第四四聖日 問113-115
問113 第十戒は、何を、求めていますか。
問114 しかし、神に向かって回心した者らは、このような戒めを、完全に、守ることができるでしょうか。
問115 この十戒は、この世では、誰も、守ることができませんのに、神は、何故、こんなに厳しく、説教させるのですか。
問113の答は、神のどんな戒めにも背かず、絶えず、すべての罪の敵となり、あらゆる正しいことを、喜びとするようになることです。問114の答は、完全に守ることはできない。最も聖(きよ)い者たちでも、わずかばかり、服従をしはじめたに過ぎず、あらゆる戒めに、生きようとしはじめるだけです。問115の答は、自分の全生涯の間、罪深い状態を、時とともに認め、熱心に、罪のゆるしとキリストにおける義を、求めるようになるためです。そして、時とともに、神のみ姿に似るようにかえられ、完成の目的に、到達し得るように、み霊の恩恵を求めるのです。

第十戒は「あなたは隣人の家を欲してはならない。」です。「むさぼってはならない」(口語訳)。むやみやたらに欲しがることです。それは自分の欲を満たす自己愛です。それは自己絶対化であり偶像崇拝に繋がります。行いだけでなく思いにおいても神に背くのです。第十戒は心の中に起こる自己愛にメスを鋭く入れます。回心した者であっても律法を完璧に守る力は人間にはありません。隣人の幸せをうらやましいと思わず、不平不満を言わず、神のみが私の心を満たす喜びであることを信じて歩むのです。第十戒は三つの益を示します。一つ、罪の自覚を認め、キリストの赦しを受け、キリストと深く結ばれること。二つ、キリストの赦しによって神の良しとされた存在として回復され、神に立ち返ること。最後に聖霊によって恵みを求めるのです。そして自分の思いで生きるのでなくキリストに倣って生かされるのです。主の備えてくださる救いの完成に向けて歩みましょう。

(2015年8月23日礼拝説教より)

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