札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の内にある命を受けるために(ヨハネ14)」

更新日:2022.2.8

聖書:ヨハネによる福音書5章19-30節 (新172頁)

小林 克哉 牧師

イエスさまは言われます。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時がくる。今やその時である。その声を聞いたものは生きる。」(25節)宗教改革者ルターはこう言います。「もしその人に神が語りかけるならば、その人は確かに死ぬことはない。そこで語っておられる神はいつまでも永遠に語り続けられることを欲しておられるから。神が永遠に生きる事、語り続けられることを望まれている被造物は死ぬことができない。」わたしたちの側に命があるのではないのです。神の内にある命がその人を生かすのです。だから神が語りかけるものは生きるのです。
 先日前任地の教会で、わたしが赴任したときから辞任するまで支え続けてくださった信徒の方が召されました。
最後は家族と牧師がベッドを囲み、讃美歌を歌い祈りをささげつつ過ごされたそうです。家族が声尾をかけると「うん」とうなずかれる。牧師先生が「○○さんあなたは洗礼を受けています。あなたは神のものです。」と声をかけられたそうです。その言葉の意味や内容がわかるかわからないかは重要ではなかったでしょう。大切な人が語りかけてくれている。愛する者の声が聞こえる。そこに命の交わりがあるからです。葬儀の説教で語られたのは、復活の信仰でした。
神の内にある命がその人を生かします。神が語りかける者は生きるのです。永遠の命とは完全な欠けなき命です。
それは、御父が御子を愛し、御子が御父を愛する永遠の愛の交わりの完全な命です。その命の交わりへとわたしたちは招かれているのです。否、今既にその命にあずかっているのです。神に語りかけられ、「はい」と答えているのです。
それが礼拝です。
わたしたちは聖書の内容をどのくらい理解できているかは正直わかりません。しかし聖書を通し、説教により、永遠から永遠におられる神がわたしたちに語りっておられることが重大なのです。今朝も主はわたしたちに語りかけておられます。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」
(24節)イエスさまは、大丈夫、わたしを信じなさいと語りかけてくださっています。アーメン  

(2022年1月30日礼拝説教より)

前のページに戻る