札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主は、わたしを造られた」

更新日:2016.10.31

箴言8章1、22-33節(旧P1000)
マタイによる福音書10章28-33節(新P18)

牧師 米倉 渚

「主は、その道の初めにわたしを造られた。」(箴言8章22節)
この「わたし」は神の知恵を指しています。神の知恵はすべての命が築かれる素(もと)です。箴言が書かれたのは、イエス・キリストが生まれる以前であり短絡的に「わたし」はイエス様だ、と結びつけることはできませんが、聖書全体を1つの書物として読むとき、ここで言われていることは何か、私たちは考え受けとめなければなりません。初代教会の時から、この「わたし」はキリストと結び付けられ考えられてきました。キリストは天地創造の前から存在し、天地が滅びる後も存在し続ける御方です。すべてのものが変化し、消滅していく中で、決してなくならないもの、変わらないものが神の知恵であられるキリストです。
さて今日はもう一つ、読んでいただいた御言葉があります。マタイ10章26節からは「恐れ」について語られています。ここで語りかけられていることは、本当に恐るべきものは何か?恐るべき方は誰なのか?ということです。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(28節)私たちがまことに恐れるべきものは私たちの命をつかさどる神なのです。恐れから信仰へと促されているのです。私たちの髪の毛も一本一本、数えられている。それを知るほど私たちのことを慈しみ愛してくださる御方がいる。
私たちは一体何に恐れるのでしょうか…。私たちの弱さ愚かささえも全てご存じで、天地の初めから、人を創造され、私たちが恐れや不安から解放するため、私たちの罪のために、愛する独り子を十字架につけられ、赦された、イエス・キリストと父なる神がおられます。この方以外に私たちの命を滅ぼすもの、取り去るもの、奪うものはいません。この神を真に知ることこそ、私たちの生きる道、私たちを生かす道です。神の知恵をいただいて歩んでいきましょう。

(2016年10月23日主日礼拝説教より)

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