札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「おまえがユダヤ人の王なのか」

更新日:2020.4.13

ヨハネによる福音書18章28-40節 (新約205頁)

米倉 美佐男牧師

本日は棕櫚の主日です。今日から受難週に入ります。
十字架に架かることを知りながら主イエスはロバの子に乗りエルサレムに入城されました。迎える人々は棕櫚の枝や衣服を道に敷き、ホサナ、ホサナ(主よ救いたまえ)と歓呼の声を上げて主をお迎えしたのです。その声が十字架に付けよとの声に代わるのに時はそれほど要しませんでした。お読みした聖書箇所はローマ総督ピラトによる裁判の場面です。木曜日の夕刻から未明にかけての出来事でした。

ピラトは主を連行してきたユダヤ人に「どういう罪でこの男を訴えるのか」と問い、イエスにも「お前がユダヤ人の王なのか」と問います。彼はどうみてもイエスに罪は見い出せないと思い、最初ユダヤ人たちと関わりたくなかったので「あなたたちが自分たちの律法に従って裁け」とユダヤ人たちに言いました。彼らから自分たちには死刑の権限がないと反論され仕方なく裁判をしたのです。けれども聖書の証言はそれもまた神のなせる業と位置付けています。

イエスは私は自分で王だとは言っていない、そう言ったのはあなたたちだ。わたしはただ真理について証しをするために世に生まれたと。そして真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。神の言葉に耳を傾ける者、主に従う者は皆真理に属する。御声を聞くものは皆誰でもユダヤ人、異邦人区別なく真理に属すると言います。主イエスの招きがここにあります。主はピラトにも呼びかけたのです。同じく私たちにも呼び掛けておられます。その声を聞くか聞かぬかそこが人生の最大の分かれ目です。ピラトはイエスに罪を見い出せず、赦す提案までしました。けれども彼は最後の一歩でつまずきます。保身のため主のみ声に聞く耳を閉ざし、真理を求めながら真理を得ることができなかったのです。主イエスから目をそらしてしまったから。

(2020年4月5日礼拝説教より)

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