札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神がどれほど愛しておられるか(1ヨハネ4)」

更新日:2023.7.18

ヨハネの手紙一 第3章1-10節

小林克哉牧師

長老ヨハネは御子の内にとどまりなさいと言うのです。そして神は愛であるということを鮮明に語ろうとします。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」(1節)神がどんなに愛していてくださるか。神はあなたを愛し、あなたの身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そしてあなたを神の子として生んでくださったのです。神の子として受け入れ、永遠の命を与えてくださるのです。どんなに愛していてくださるか。
伝道者になったばかりの頃、お世話になった牧師先生がおられます。出生の時の話を聞かせてくださいました。医師はお母さまに伝えました。出産すれば母体が耐えられずあなたは死ぬかもしれない。残念だが諦めたほうがよい、と。お母さまは自分の命に代えて子が生まれてくることを決断します。生まれて間もなく、医師の言ったとおり、お母さまは亡くなられました。その牧師先生は、母が自分をどんなに愛してくれたかが分かるし、信じることができると言っておられました。母に抱かれた経験も、ご飯を作ってもらったことも、プレゼントをもらったこともないけれど、どんなに愛していてくれたのか、その愛に疑いの余地などないのです。大学生になり教会に導かれ、母の愛にまさる神の愛を知りキリスト者になられたのです。
十字架を見れば、神がわたしたちをどんなに愛しておられるか分かります。御子の犠牲により罪赦され、御子の内に入れられ、神の子とされているのです。あれがない、これがないと言い出せばきりがないかもしれませんが、十字架の愛に付け加えるものが必要だと言うのでしょうか。十字架の愛の他、何が必要だと言うのでしょうか。神の愛に疑いの余地などないのです。「神がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。」わたしたちにはその愛にとどまり、御子にとどまろうとして生きる恵みが与えられているのです。惑わされることなく、御子イエスさまを信じ、兄弟を愛し、互いに愛し合い歩むことにとどまる恵みが与えられているのです。アーメン

(2023年7月9日礼拝説教より)

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