札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「貫かれる神の救いのご意志(マタイ③)」

更新日:2024.1.30

マタイによる福音書 第2章13-23節

小林克哉牧師

「ヘロデは・・・・ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」(16節)ヘロデ王は暴虐残忍で知られた人でした。猜疑心が強く、自分の地位を脅かす者を次々と殺しました。幼児大量虐殺事件もその一つにすぎないほどです。独裁者による幼児大量虐殺事件、遠い昔の話ではありません。これがわたしたちが生きている世界であり、人間の罪の現実です。わたしたちは別のところに生きているのではないのです。
神はこの罪の現実に来てくださいました。真の人となり赤子となって来てくださったのです。身の危険を冒して来てくださったのです。イエスさまはこの殺された子どもたちの先頭におられるお方です。この時、一緒に虐殺されることはありませんでしたが、この罪なきお方は家族にも理解されず、指導者たちから誹謗中傷を受け、遂に弟子たちからも見捨てられ、人々から嘲られ、不当な裁判によるえん罪の死刑判決を受け、十字架で殺されたのです。不条理な死を遂げられたのでした。どうしてこんなことが許されるのかという不条理の極みを死んでくださったのでした。
御言葉は15節、17節、23節で繰り返し語ります。「主が預言者(預言者エレミヤ[17節]/預言者たち[23節])を通して言われていたことが実現するためであった。」(15節)神さまの御心はわたしたち人間の思いや計りをはるかに超え、それを大きくその内に包み込んでくださるものです。わたしたちが経験することはいろいろです。どうしてそんなことがと心痛める出来事があります。そのすべてにおいて、実は人の思いや計り、人間の罪や悪しき力を超えて、神の救いのご意志が貫かれていることを知ることがゆるされているのです。
わたしたちが生きているこの世界には不条理があります。どうしてと思うことがあります。人間の罪の現実の中をわたしたちは生きていかねばならないのです。しかしイエス・キリストがおられるのです。このお方の存在が、神の救いのご意志が貫かれているしるしなのです。アーメン

(2024年1月21日礼拝説教より)

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