札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「清くなれ」

更新日:2016.8.22

マタイによる福音書8章1-4節(新P13)

牧師 米倉 美佐男

「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。」(2節)

 
山上の説教が語り終えられたところで、今日からまた病の癒しの話第2弾が始まります。イエス様が「山を下りられると」とあります。説教を終え、ふもとに降りて来られた時に起きたエピソードが記されます。主イエスの話を聞こう、病を癒してもらおうと思って大勢の人々が集まりました。その中に「らい病」の人がいたのです。

「らい病」は今はあまり騒がれません。病気に十分対処できているからです。聖書の時代は不治の病であり、伝染性のある病で大きな疎外感を強いられた病でした。罹患した人は世捨て人同然に扱われました。神殿へ詣でることも禁止、社会からも排除されました。深刻なのは、汚れ、不浄として扱われたことです。レビ記等に関係記述があります。その時代、らい病は病気というより、神に対する汚れ、罪の問題でありました。だから本人もイエスも「清める」と言っているのです。

らい病に罹患した人は律法の規定では神殿礼拝は禁止、生活の場からも追放、健康な人々に近づいてはいけない。「自分は汚れている。自分は汚れている。」と大声で言わなければならない。宗教上からも社会的にも排除、除外されていたこの人が命の危険を冒して最後の機会と必死の思いで主イエスに癒しを求め出たのです。彼の言葉にイエスはすぐに応えてくださり、手を差し伸べ、そのただれた皮膚に触れられ、手を置かれた。それが表面的傷のみならず心の傷をも癒したのです。主の憐みは、悲しみの内にある者、絶望している者に生きる喜びを与えます。私たちはその喜びを味わうために主に救いを求めるのです。

(2016年8月14日主日礼拝説教より)

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