札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「人間 イエス」

更新日:2021.6.25

ルカによる福音書2章41-52節(新約104頁)

大濱 良代姉

私たちはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を読むことが度々ありますが、その中に譬話が数多くあります。それらが実に多方面にわたっていること、内容が豊かであること、又人との実生活の実態をよく知っていらっしゃることに驚かされます。3日間しか学校に行かせてもらえなかったイエスはこういうことを何処で学ばれたのでしょう。おそらくそれは、イエスが書物を読んで知った知識ではなく、イエスの周りの自然であったり、母マリアや兄弟と暮らす家庭であったり、汗して働く仕事場であったりという日常生活の中で
見聞きした生きた事実であったからあんなにも譬が適切で深い意味をもつものになったのではないでしょうか。 また、イエスは聖書をよく読まれていました。ユダヤ人の学者や指導者あるいはファリサイ派の人たちから、イエスを落しめるために悪質な質問をうけられると「あなたたちの律法にはなんと書いてあるか」と逆襲してかわされたり、ユダヤ人たち自身から「この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなに知っているのだろう」と不思議がられています。
このように神様はイエスの成長を助け、何にもまして聖霊自らが聖書の真理を語る知慧をイエスのうちに吹き込まれたに違いありません。イエスが誕生した時そこに駆け付け神を崇め讃美したのは、名もなき星占いの博士たちと羊を追って生計をたてる羊飼いたちでした。イエスの初詣の時、幼児イエスを祝福したのは救いを待ち望む敬虔な一平民の二人の老人でした。青年イエスは30歳までの年月を社会の底辺で生きる貧しき労働者として生きられました。
このように神様は、イエスを平凡な平民として私たち人間と同じ生を生きるものとなさいました。だから私たちはこのイエスに祈る事ができるのです。わかって下さるからイエスも同じ苦しみ、悲しみを経験なさったからそのイエスに祈って「やすかれ」という神の声を聞くことが出来るのです。

(2021年6月20日礼拝説教より)

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