札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主が分け与えるパンで満たされ(ヨハネ16)」

更新日:2022.2.18

ヨハネによる福音書6章1-15節 (新174頁)

小林 克哉 牧師

主の日、わたしたちはイエス・キリストの御許へとやって来ます。「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われた」(5節)。人が食べ、満たされ、生きることのできるパンのことです。
フィリポは計算をしました。二百デナリオンは必要だ。財布の中にそんなお金は入っていない。とても自分たちの手に負えることでない。御言葉は続きます。「弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。』」(8-9節)いろいろと探し回りましたが、これがわたしたちの今ある全てです。ただ何の役にも立たないでしょうが。
少年は、自分の分は別にとっておいて半分だけ差し出すのでなく、役に立たないと言われながらも全てをイエスさまに差し出しました。「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」(11節)役に立たないと言われるパンと魚を、しかしイエスさまは父なる神に感謝されたのです。イエスさまは感謝してくださる!
わたしたちの今ある全てとは何でしょう。それはこの世界の救いのために役に立つでしょうか。しかしイエスさまがあなたの今ある全てを感謝してくださる。あなたのことを神に感謝してくださる。そしてイエスさまがそれを五千人の人々に分け与えると、人々は食べ、満たされ、それによって生きることができたのです。天から、神からの命のパンのことです。
イエスさまが与える命のパンとは、永遠の命です。教会に来る動機は人それぞれでしょう。五千人の人々もそれぞれだったでしょう。イエスさまはその人たちを見て、永遠の命を与えようとされるのです。イエスさまが命のパンです。イエスさまの命、イエスさまの全てが与えられるということです。主は教会を通し御言葉と聖餐によって今も養ってくださっています。イエスさまという一つの命のパンによりすべての人が満たされ生きることができるのです。アーメン

(2022年2月13日礼拝説教より)

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