札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

更新日:2018.10.9

マタイによる福音書 27章45‐56節

牧師 米倉 美佐男

十字架上の主イエスの無言のお姿とそれを下から見上げる周囲の人々のあざけりの声が対照的に描き出されていました。午前9時に主は十字架につけられました。昼の12時になると全地は暗くなり、それが3時まで続きました。最後にイエスが大声で叫ばれたのが3時です。その時のお言葉が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)。」(46節)でした。

それは詩編22編の冒頭の言葉です。そこに居合わせた人々のうちには、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいました。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとし、他の人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られました。

主イエスご自身、苦しみ悶えながらの十字架上の祈りです。けれども最後は御心のままに、御手にゆだねるというお言葉で終わります。いつでもそうでした。見落としてならないのは主が息を引き取られたその後のことです。神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けます。これはユダヤ教の時代が終焉を告げたこと、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返り、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。新しい選民イスラエル、教会の時代の幕開けの出来事です。イエスの死は死という避けたいが避けられない出来事を、主はただ殺された、あるいは死なされたのでなく、積極的に死んでくださった、死に勝利された復活の救いを意味しているのです。これを見ていた百人隊長や一緒に見張りをしていた者たち異邦人が「本当に。この人は神の子だった」と告白するにいたったのです。十字架の意味がここに示されているのです。

(2018年9月30日主日礼拝説教)

前のページに戻る