札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「恐れなくてよいものを恐れるな」

更新日:2017.2.20

マタイによる福音書10章26-31節(新P18)

牧師 米倉 美佐男

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(28節)。主イエスに選ばれた12人の弟子は使徒と特別に呼ばれました。「遣わされた者」という意味です。主は彼らを伝道に派遣されるに当り、丁寧に心の準備をかなり具体的に指導されています。今朝の箇所では遣わされる現場がどのような所か、遣わされるに当たってどのような姿勢で臨むべきか、伝道の結果としてどのような目に会うかという事を丁寧に述べておられます。最後に24節以下で主イエスに従いなさい、何も恐れず、たとえ悪魔呼ばわりされようがくじけず歩みなさいと結んでいます。

キリストの福音は迫害を恐れて隠そうとしても隠しきれないのです。「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので・・・」は一種のことわざです。隠そうとしても隠しきれないで自然に表れる。「わたしが暗闇で言う事」、耳打ちされたこと、少数の人たちの前で、内輪で弟子たちにひそかに語られた、伝えられた、奥義も表れる、知られるのです。福音は明るみで、屋根の上で、つまりもう公表してもかまわない。公然と、おおっぴらにして良い、福音を言い広めなさいと言う発信です。

福音は本来私たちの都合で宣伝したり止めたりすることのできないものです。私は信じた、それゆえに語るのです。(2コリ4・13)、信じたら語らざるを得なくなる。迫害が怖いから黙っているということは福音の本質からははずれているのです。本当に恐れなくてはならないものは何か。それは体を殺せても魂を殺すことのできないものでなく、魂も体も地獄で滅ぼすことのできるお方だけを恐れなさいと申します。神は私たちをかけがえのない存在として創造し、導いてくださっているのです。キリストを信じる信仰のゆえに迫害の憂き目に会うことがあるかもしれない。迫害は確かに恐ろしい。それに耐える勇気を持つにはしっかりと真に従う者を知る幸いを知るべきです。私たちを愛する神の深い憐れみを畏敬を持って受け止める時に本当の自由が与えられるのだから。

(2017年2月12日主日礼拝説教より)

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