札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主の与える平和」

更新日:2012.11.12

ヨハネによる福音書14章15-31節(新P197)

牧師:米倉 美佐男

「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(14節)。
イエスが語られる言葉、行われるわざとによってイエスが「道であり、真理であり、命である」ことを私たちは信じることができます。同時に主イエスを信じる者も主のなさるわざを担う者として生かされるのです。主イエスは世を去ることによって弟子たちが何をしなければならないかを教えられたのです。それは主の遺言でありました。「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」(12節)。

弟子たちが守らなければならない大事なことは主の掟、主の戒めを守ることです。世は見ない、受け入れないが、弟子たちは正しく主を見るのです。見ることが許されているのです。主を求めず、見ようともしない、知ろうともしなければ主の恵みを受けることはできません。
主がこのように語っておられた時、イスカリオテでない方のユダが申します。「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか。」。その意図はあなたがメシヤならそれだけのお力がおありになるのだから、すぐに神の国を来らせるべきではないでしょうか。というのです。主イエスのお答えは「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」(23節)でした。

ちょっと噛み合わない会話ですが、それはわれわれの求めと主イエスの伝えようと考えていることの違いです。ユダは、本当に自分は主イエスを愛しているか。イエスの掟を守っているか?と考えずに、自分の都合の良い聞き方しかしていません。それに対し、イエスはいつでもイエスを愛し、イエスの掟、言葉を守り、受け入れる者にはだれにでもご自身を現しておられるのです。
主が与えて下さる平和が約束されました。信じる者には本当のシャーローム(平和・平安)があるのです。主が与えて下さる平和は主が共にいてくださる平和です。どんな時にも、たとえ心が穏やかでない時でも、行く先が見えず不安で一杯な時も、主は傍らに共に居て下さるのです。それゆえに心騒ぐことなく、怯えることなく前に進むことができるのです。それが主によって与えられる平和、平安です。
主から先に救いを与えられた私たちが世の風潮に惑わされることなく、主の平和を多くの人々に伝えましょう。

(2012年11月4日礼拝説教より)

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