札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「荒れ野に道を備えよ」

更新日:2018.12.10

イザヤ書40章3-5節(旧約P1123)
ヨハネによる福音書1章1-14節(新約P163)

米倉 美佐男牧師

「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ野に広い道を通せ。」(イザヤ40章3節)

今朝からアドベント(待降節)に入ります。アドベントは到来を意味します。メシア(救い主)の到来を待ち続けた古の人々の思いを受け継いでこの時を過ごします。
最初に歌った讃美歌242番はクリスマス讃美歌では新しく、作詞マリア・フェルシュル、作曲ハインリッヒ・ロール、二人ともドイツのカトリックの方たちです。軽やかなメロディーがクリスマスを迎える静かな喜びに満ち、日曜日ごとに一本ずつローソクに火を点しながらクリスマスを迎える備えにふさわしい讃美です。

クリスマスに私たちの先輩方は何を伝えようとしたのでしょうか。私たちもまた何を伝え残そうとしているのでしょうか。言うまでもありません、真のメシア主イエスがお生まれになられた、私たちを救うために。その喜ばしい事実を大胆に宣べ伝えるのです。今朝のメッセージは「備え」です。荒れ野に道を備えよ。バプテスマのヨハネも語ります。それは旧約のイザヤの言葉です。

イザヤの預言は、バビロン捕囚のうちひしがれた民が故郷カナンの地に帰還するにあたって、主が先導し、帰還する者たちのために道が備えられんことを願い祈る慰めです。
主の栄光が現れるその時が確実にくるから、弱ることなく、救いの恵みを与えられるその時の到来に備えよとの勧めです。ヨハネ福音書の記者は救いの成就がとうとう現実になったこと、メシア・イエスをロゴス(言)、フォース(光)で表しました。創世記の第1章の記事を思い起こします。
そしてメシアの到来の準備として遣わされた者がバプテスマのヨハネでした。「彼は証をするために来た。」(ヨハネ1章7節)、主イエス・キリストの証し人として。すべての人が彼によって、信じるようになるために。道を備える者として。

(2018年12月2日主日礼拝説教より)

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