札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「我らの罪をもゆるしたまえ」

更新日:2015.11.9

マタイによる福音書 6章14-15節  (P新9)

牧師:米倉 美佐男

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。」(14節)

第五一聖日 問126
問126 第五の求めは、何ですか。
われらに負債(おいめ)ある者をわれらがゆるすごとく、われらの負債をもゆるしたまえ、です。罪人であるわれわれが持っている、すべての過失と悪とを、キリストの血のゆえに、われわれに、帰することなく、主の恵みの証しを、自分のうちに見出し、隣人を心からゆるす者となるように、努めることです。

ハイデルベルクの信仰問答の第51聖日は、主の祈りの第五の祈り、「我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」です。マタイの記事の中にある有名な話が良い解説になります。18章21節以下。王から1万タラントの大きな借金をした家来が、返せず王に返済を赦してもらいました。それなのに自分が仲間に貸した百デナリを返してもらえないと、この家来は仲間を赦さず牢屋に入れてしまいました。このことを知った王は大変立腹してその家来を牢屋に入れてしまいました。自分のミスは赦して欲しい、でも自分にした他人のミスは赦せない、他人の欠点は分かっても自分の欠点は認めようとはしません。

「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく」と祈るのですが、ゆるすから赦してください、赦す条件とするならこの祈りを祈ることは困難です。この祈りは次の事を私たちに教えます。私たちはみな罪人であり、そのことを否応なく認めざるを得ません。同時にその罪は神が赦して下さっているという事実です。罪の赦しは主イエス・キリストの十字架、復活が示してくれています。その恵みを感謝し、喜びをもって主に従うのです。私たちは主の赦しが与えられているから共に赦すことのできる者にしてくださいと祈れるのです。神の赦しを感謝して受けることによって我らもまた隣人を赦す者へと変えて頂けるのです。信仰があるから祈れるのです。信仰がなければ祈れないのです。

(2015年11月1日礼拝説教より)

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