札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「ユダ」

更新日:2018.7.2

マタイによる福音書26章14-25節(新約P52)

牧師 米倉 美佐男

「そのとき、」(14節)ベタニアでイエスが一人の女性から香油を注がれた時のことです。主イエスは好意的に受け止められましたが弟子たちは無駄遣いだと言った出来事のときです。イスカリオテのユダが、祭司長たちのところへ行き言いました「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか。」結果ユダが手にしたのは銀貨30枚でした。今のお金で数千円程度。裏切りの代価としては少ない額です。でもお金を受取り、それ以来ユダはイエスを引き渡す機会をねらっていました。

無駄遣いと言ったのはユダだと言う説もあります。なぜ彼がイエスを裏切ったのかが昔から議論されています。ユダは預かっていた金を使い込んで、その穴埋めをしようとしたとか、もっともらしい説明は書いてあってもなくても、推測することはできます。先に記した金額からするとお金目当て説より、もっとユダにとって許しがたい理由があったのかもしれません。ユダはイエスに期待していた何かが裏切られた思いがあったのかもしれません。

除酵祭の一日目、最後の晩餐の時の出来事、夕刻に一同が会し、食事が始まります。わたしの時が近づいたと十字架の迫りを主は告げます。そして「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」(21節)。聞いた弟子たちは、非常に心をを痛め「主よ、まさかわたしのことでは」(22節)と言いました。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。」(23節)誰が主を裏切るかはまだわかりません。でも食事を共にしている弟子たちの中にいることだけは確かです。ユダが言います「先生、まさかわたしのことでは」(25節)、イエスが言われます。「それはあなたの言ったことだ。」(25節)と。ユダに対してイエスはあなた自身が良く分かっていることだと言われたのです。主を十字架につけたのはユダだけの問題ではなく私たち自身の問題でもあるのです。

(2018年6月24日主日礼拝説教より)

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